美浜町と松

「白砂青松」
美しい海岸の景色を表すこの言葉のとおり、美浜の松林は、私たちの目を楽しませてくれます。

美浜が誇る松林の歴史

matu1.jpg美浜町の誰もが「自慢できるもの」としてあげる、煙樹ヶ浜の松林。

幅は広いところで約500メートル、長さ4.5キロメートルに及ぶ大松林は、近畿最大の規模を誇り、その景観は煙樹海岸県立自然公園の中核となっています。

この大松林がいつ頃形成されたのか、その歴史は明らかではありませんが、紀州初代藩主徳川頼宜公の時代(1619年頃)にはすでに「御留山(おとめやま)」として、伐採が禁じられ、保護されていました。

その後、土地の人々によるたゆまぬ努力の結果、現在も見事な松林として景観を保ち、また美浜町周辺を潮害や風害から守り続けているのです。

「煙樹ヶ浜」という名は、大正末年、探勝と制作のためにこの地を訪れた近藤浩一路画伯が、絵に描いたのが始まりといわれております。
この地にふさわしい美しい呼び名です。

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百選の松林となって

matu4.jpg日本の松の緑を守る会によって1983年に「21世紀に引き継ぎたい日本の名松百選」が発表されました。

これは、国、都道府県、市町村指定の天然記念物、または貴重木、由緒ある単木、庭木、公園木、そして公益的機能の高い松林を対象としています。

全国各地の名松266カ所の中から、選考委員会で決定されました。
そして、「煙樹海岸の松林」が県内では3カ所のうちの1つとして選ばれました。

また、4年後の1987年に同会が決定した「21世紀に引き継ぎたい日本の白砂青松百選」にも、県内で唯一「煙樹海岸」が選ばれています。
全国的にも認められたこの松林を守るため、そして次代に受け継ぐために、今後とも地域をあげて守り続けます。

美浜の松を守るために

400年以上もの長い間、美浜の地で太平洋を見つめてきた松林。

現在その数5万本とも6万本ともいわれるこの松林の優美な景観は、長年にわたる多くの人々の努力の結晶なのです。江戸時代に松林が「御留山」と定められたのち、近辺各村の農民は、植林などの活動を重ねて防潮保安林の保護育成に多大な努力を払いました。

また、昭和9年の室戸台風による被害や昭和30年以降のマツクイムシ被害に対しても、官民が一体となって保安林の保護・育成に取り組んできました。
近年では、小学生や地域の人達によって新たに多くの松が植えられています。

また2月の第2日曜を「松の日」と定め、町民の方々がボランティアで清掃活動や草刈り作業等を行います。
先祖が大切に守り育てた貴重な遺産である松林。美浜町民の誇りである美しい松林を守る活動は、これからも確かに受け継がれていかなければなりません。

松の里親制度(アダプションプログラム)

matu5.jpg私たちの大切な松を守るためには、地域が一体となって対策を進める必要があります。
そのためには、地域の住民のみなさんの協力が欠かせません。そこで、町の煙樹ヶ浜保安林保護育成会が、平成12年度から「里親制度」を導入することを決めました。

「里親制度」とは、煙樹ヶ浜の松林を「子ども」に見立て、当会の会員やボランティアの皆さんに親代わりになっていただき、わが子へ注ぐ愛情と同様な愛情で煙樹ヶ浜のより一層の環境整備(林内の巡回、清掃活動)に向けての管理をお願いするものです。

現在、煙樹ヶ浜松林を35ブロックに分け各地区や団体の担当場所を決めて、林内の環境整備に取り組んでいます。

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煙樹ヶ浜の松キュウリ

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農林水産建設課
電話:0738-23-4951